音と衣裳とボディーが三位一体

ファッションと音楽がピッタリ合体して、その時代を象徴するスタイルを作り上げたのは50年代後半からのことですね。


リーゼント・ヘアに革ジャンとジーンズ、ポニーテールにパラシュートスタイルは、50年代のアメリカ音楽には欠かせないものです。


また、ピシッと細身のコンテンポラリースーツのモッズは、60年代前半のモダンジャズ全盛のムーブメント抜きには語れません。


ロックがもっともホットなメッセージとなった60年代後半から70年代初頭といえば、すぐに思い浮かぶのが、ロング・ヘアにピチピチのTシャツとベルボトムのパンツ。


70年代後半は、パンク・ロックとパンク・ルック。


このように"メモリー"として残る(だから永遠でもあるのですが)ファッションには、音楽が不可欠な要素です。


音のメッセージには、バッグ カジュアルなどのファッションという視覚要素が絶対条件ということにもなります。


確かに、過去にも、"ジャズ・エイジ"と呼ばれ、20年代のファッションと音楽が結びついた時代もありましたが、それを享受できたのはごく一部の特権階級の人々だけ。


その後、ラジオ、レコード、テレビがごく当たり前の家庭備品として普及するようになり、このファッションの音楽化、音楽のファッション化現象が一般化したのです。

中性的なファッション

女が男っぽい、男が女みたい・・・


それが正に古い価値観をうち破るパワーにもなったのです。


そのパワーの持つ魅力が、とても"セクシー"だったといえます。


では、ボーイ・ジョージやアニー・レノックスもそうかというと、これが全く異質であることに気づきます。


"性"が感じられません。


限りなく彼らは、"中性"に近いのです。


"ユニ"ではなく"ノン・セックス"といっていいでしょう。


ボーイのこれでもかという過剰なメークやコスチューム。


アニーのタータンチェックとゼブラ模様を配した衣装。


バッグ カジュアルなど肉体を飾るモノが多くなればなるほど、自身の生身の身体の存在があやふやになっていきます。


「ユニ・セックス」が男と女、ひいては平和な社会を作る手段と思われていました。


しかし、現実はそうじゃないのです。


"ユニ"から"ノン"へ・・・


これは今の時代では、平和主義者のシンボルかもしれないですね。

ユニ・セックスでセクシーな人たち

生活がインターナショナルになりイギリスでもアメリカでも、国に関係なく同じものを着、食べ、音楽を聴くようになりました。


こんな時代が背景だから、当然男も女も同じような生活をするようになります。


女性がジーンズをはき、男の衣服だったダッフルコートも着ます。


反対に男性も女性の色と思われていた派手な色を身につけ、髪ものばしたりすれば、短くする男もいます。


つまり、「ユニ・セックス」は、時代が安定し、平和であればあるほど当然進むべき傾向であった、と解釈できるのです。


そういう意味で、昨今のイギリスのミュージシャンたちの装いたとえば大スターになった"カルチャー・クラブ"のボーイ・ジョージとか、新進グループ"ユーリズミックス"のアニー・レノックスーは、これがもっと進化し、"性"そのものも超越していることがとても興味深いですね。


これは私見かもしれませんが・・・


マッシュルームカットで登場したビートルズや、化粧をしたミック・ジャガー、デビッド・ボウイ、バッグ カジュアルを持って少年のような容姿で売ったスーパーモデル、ツィッギー。


これらの人たちは、"ユニ・セックス"という装いをしながらも、じつはそれがとても"セクシー"です。


そんな逆説的な"性"を看板にしたスターです。


そこには対大人社会という図式がありました。

ユニ・セックスの具体化

ダイアナ・ロスのシュープリームス時代をモデルにしたヒット・ミュージカル『ドリームガールズ』を見た時・・・


観客の大半を占める黒人たちが熱狂的な声援を送ったのは、ジェニファー・ホリデーという新人スター。


歌はうまいがデブでブスなためメンバーからはずされる悲劇の女という役柄です。


ダイアナらしき美人スターはとんと影が薄かったのです。


コンテスト前のヌード写真が発覚し、バネッサ・ウィリアムズはミスの栄冠を剥奪されましたが、そのスキャンダルで今でも有名人ですね。


二児の母になりました。


さて、「ユニ・セックス」という言葉がファッションでも具体化されたのは60年代のことです。


ミニスカートやバッグ カジュアルを世界中に広めたデザイナー、マリー・クワントはその自伝の中で、60年代初期の頃、イギリスに出現した"モッズ族"についてこんなふうに語っています。


第二次大戦後の街の女の子たちは旧世代の女性たちと違い、ステータスのためより自分の人生を楽しくするものを選び着こなすようになった、と。

美人の基準は"白人"なのか

白人と並んでも違和感のない顔だったからこそ、バネッサさんは黒人初のミス・アメリカに輝いたのではないでしょうか。


これは、永遠のスーパースター・・・


マイケル・ジャクソンにもいえることですね。


虚実とりまぜて彼の整形が話題になっていましたが、ジャクソン・ファイブ時代のあの容姿だったら今日の成功はあったでしょうか。


天下の美女ブルック・シールズを傍らにおいても遜色のない"整った"顔。


その反対に、黒人特有のしなやかな身体は、上半身にボリュームを持たせ下半身はスリムなスタイルに徹したコスチュームで強調されています。


短めのパンツからのぞいた鮮やかなソックスがステップの軽やかさを強烈に印象づけるポイントにも。


白人と黒人のいいところだけを身につけた傑作が彼です。


しかし、確かにマイケル・ジャクソンはカッコいいけれど、黄色人種の私にはひっかかるものがあります。


60年代後半の"ブラック・イズ・ビューティフル"のムーブメントを経ても、やはり美人の基準は"白人"というフィルターなしには語れないのかと・・・。


ひと足先に大スターになり、今やビューティフル・ピープルの一人にもなったダイアナ・ロスを見てもそんな思いがしますね。


これはバッグ カジュアルなどを扱うファッション業界ではよく話題になることなのです。

カジュアルなファッションで

はじめまして。


今日からファッション関連のブログをはじめます。


わたしが一番好きなスタイルはカジュアルファッション。


ここではバッグ カジュアルなどカジュアルスタイルについてのあれこれと、最新の流行、ファッション史などいろいろなことを書いていきたいと思います。


どうぞよろしく。


わたしが一番おしゃれだな、と思う有名人はバネッサ・ウィリアムズです。


容姿はもとより、タレント(才能)審査もあるただの美女選びではない"ミス・アメリカ"のコンテストで、バネッサさんは音楽専攻の女子大生という特技を生かし、その美しい歌声で満場の拍手をさらったといいます。


ところが、その外電を新聞で見た時私はすぐバネッサ嬢が"黒人"とは思えませんでした。


たまたま手元にあった『アメリカン・ビューティ』というアメリカの美女の歴史を書いた本をながめてみると、初代ミス・アメリカのマーガレット・ゴードン嬢のほうがずっと鼻も大きいし、唇もカッコ悪い。


つまり、そのくらい、バネッサさんは肌の色(といっても真っ黒ではなくミルクコーヒー色)を除けば、チリチリではない波のようなヘアも、凹凸のくっきりした顔立ちも、限りなく"白人"に近かったのです。